15. 危機の心理学
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1. 過剰な不安と不安の欠如
1-1. 再び, 安全と安心
ときに安全性が十分に確保されていることが明白と思われる状況においても、安心できないことがある(中谷内, 2008)
4. 犯罪に遭遇する危機
現実の犯罪発生率とは不釣り合いなほどに、日本人の犯罪不安が高い
このような傾向は日本において見られるものではない
あらゆる側面で安全で快適になるほど、危機に対する不安が高まるというパラドックスは、先進国に共通して見られる傾向だと指摘されている
ところがこのような傾向とは対照的に、人は時に安全性が保証されているという根拠は何もないにもかかわらず、安心をしてしまうこともある
正常性バイアスや楽観性バイアス
災害時などにパニックが生じるというのもパニック神話
安全と安心はセットで使われるようになったが、両者はまったく異なる概念
安全
物理的、客観的に危機が発生する可能性が低い状態
安心
心理的、主観的に危機が発生する可能性が低いと評価される状態
1-2. 不安がもたらすコスト
安心できない=特定の事象に対して不安や恐れを覚えることには、その事象がもたらすであろう危機への対処を促すという優れた機能がある
しかし誤った不安感を抱き、不要な対処をしたり、必要な対処をしなかったりすれば、時間や労力を無駄にするだけでなく、危機を拡大する可能性さえある
心配総量有限仮説(Weber, 2006)
心配の総量は有限だとする仮説
我々が心配できることおには上限があり、ある事象に関する心配が大きくなると、必然的に別の事象についての心配が小さくなる
東日本大震災前(2008年1~2月)と、震災後(2012年1~2月)に51種類の危機事象(ハザード)への不安を調べた調査(Nakaychi, Yokoyama, & Oki, 2015)
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震災後は、原子力発電、地震への不安が高まる一方、それ以外の多くの事象については、不安が低下していた
なかでも地球温暖化や石油枯渇といった環境破壊への不安は大きく低下していたが、これは原子力発電への不安が高まる中、その代替手段として火力発電への依存が高まったことが関与していると考えられる
もちろん、この間に環境破壊に関する危機そのものが緩和されたわけではない
9. 環境破壊という危機でも見たように、我々は危機に対して近視眼的な評価をしがち
911のテロが起きた後、多くのアメリカ人は飛行機を恐れ、代わりに自動車での移動が急増した
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その結果として、テロ後、12ヶ月にわたり、自動車による死亡事故の件数が、直近5年間(1996-2000)の平均を上回る数となってしまった
ギーゲレンツァー(ゲルト・ギゲレンツァー)は飛行機に乗るリスクを避けるという選択をしたことにより、1600人のアメリカ人が路上で命を落としたと推定している(Gigerenzer, 2004; Gigerenzer, 2006)
議題設定効果(McCombs & Shaw, 1972; 竹下, 2008)
政治心理学の分野でよく使われる用語
マス・メディアで、ある争点やトピックが取り上げられるほど、その争点やトピックを重要なものと認識するようになること
例えば、テレビで繰り返しある問題が解説されれば、視聴者はそれを重要な問題と認識するようになり、いま優先して取り組むべき議題(アジェンダ)として、世間に定着していくことになる
あるいは、それにより利用可能性カスケードが生じることになれば、危機意識が自己増殖的に拡大していく可能性も考えられる
危機意識にはマス・メディアが大きな役割を果たすが、マス・メディアが取り上げるからといって、それが重要な危機であるとは限らない
最近ではよりパーソナルなメディア(SNS等)を通じてうわさが拡がり、いわば草の根的に特定の問題が注目を浴びることがある
しかしそれとて、いますぐに取り組むべき危機であるとは限らない
人々の危機意識が高まれば、それへの対処を求める声も大きくなり、その声に動かされるかたちで、政府などが対策を講じざるを得なくなることがあるが、仮にそれが、優先して対処すべき危機ではなかった場合、不要なコストがかかるばかりではなく、別の本当に重要な危機への対処が遅れてしまう可能性もはらんでいる
リスクの社会的増幅フレームワーク(Kasperson, Kasperson, Pidgeon, & Slovic, 2003; Kasperson, Renn, Slovic, Brown, Emel, Goble, Kasperson, & Rtick, 1988)
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カスパーソンらは、特定のリスク事象が様々な要因によって増幅していく様子と、その結果として、まるで池に投げ込まれた小石の波紋のように問題が当事者以外にも広く普及していく様子を包括的に描いている
リスクが生じた時、そのリスクに関する情報は個人的な経験(直接経験)もしくは間接的なコミュニケーション(マスメディア等によってもたらされる情報)を情報源とし、それが様々なチャンネルを通じて伝えられていく
そこにはリスク情報を増幅させる社会的、個人的な増幅装置がある
リスク増幅(まれに減衰)の段階
本書ではリスク認知の歪みやヒューリスティックなど、個人的な増幅装置に着目することが多かったが、議題設定効果のように、マスメディアが特定のリスクに着目することで、そのリスクが増幅する
増幅されたリスク情報によって様々な波及効果が生じる段階
リスク情報は、当初は限られた人々に直接的な影響を与えるのみだが、それが徐々に周辺の関係者へと波紋を広げていく
結果として、インパクトを与えることになる
風評被害のように多大な経済的損失を生じさせる等
最たるものとして戦争を挙げることもできるだろう
2. 危機の功罪
2-1. 危機か, 好機か
危機という言葉には転換点、分かれ目という意味も含まれている
我々はエラーや事故から学び得ることもあるし、貧困という危機に瀕しながらも偉大な業績を残したものもいる
たとえそれが望んだ危機でなかったとしても、危機を経験することによって、むしろ人間的に成長することすらあるだろう
与えられた環境において危機に適切に対処する能力、あるいは環境そのものを自ら変えていく能力を育成していくことが重要だろう
そもそも我々人間には損失回避傾向があり、損失を恐れるあまり、現状維持を貫いたり(現状維持バイアス)、過去に失って取り戻せないものに固執したりすること(サンクコスト効果)がしばしばある
もし危機だと思っていたものが、実際には好機だったとしたら、我々はこすいた損失回避傾向により、そのチャンスを逃してしまっていることになるだろう
リスクを回避する傾向が日本人に特に強いことを指摘し、警鐘を鳴らす者もいる
山岸(山岸俊男)とブリントン(2010)は、「世界価値観調査2005-2008」の結果を示し、日本は、自分のことを冒険やリスクを避けるタイプだと思っている人の割合が、調査対象国の中で最も大きいことを指摘している
最新の傾向でも変わっていない
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2-2. 後悔感情の予測
なぜ我々は、好機に変わりうるかもしれない危機を避けてしまうのだろうか
ギルバート(Gilbert, 2006)は、人間は未来の感情を予測する唯一の動物であるとする一方で、こうした感情予測は、殆どの場合、間違っていると指摘する
すなわち、我々は、将来経験する感情を実際よりも強く、持続的なものだと予測してしまう
「心理的免疫システム」
身体の免疫と同じように感情をすぐに平静の状態へと戻す働き
強い感情が長期にわたって続くことは、心身に極度の興奮状態を強いるため、健康を阻害しかねない
このことは、特にネガティブな感情において顕著
人は不運に見舞われたり、失敗をしたりしても、それは仕方がなかったのだと自己正当化をしたり、むしろ積極的にその不運や失敗に意味を見出そうとしたりする
したがって、現実に経験される感情は、事前に予測されたものよりもずっと穏やかなものとなるのが普通
このことは後悔という感情にも当てはまる
後悔もまた、過大に推測されやすいネガティブ感情の一つ(Gilbert, Morewedge, Risen, & Wilson, 2004)
後悔は「もし、あの時、こうしていたら」という、過去の事実と反する状況を考えること(反実思考)によって生じる感情で、意思決定に大きな影響を及ぼす(Roese, 2005)
しかし、これまでの研究によれば、何かを"した"ことによって経験される後悔感情は、何かを"しなかった"ことによって経験される後悔感情よりもずっと小さく、長続きしない(Gilovich & Medvec, 1995)
心理的免疫システムにとっては、いきすぎた勇気の萌芽、いきすぎた臆病さよりも正当化しやすいのである(Gilbert, 2006)
ただし、ここで注意したいのは、事前に危険を察知し、損失を回避しようとする行為、それ自体は、極めて正常なものだということ
重要なのは、自然に沸き起こる危機回避の感情的反応に、理性をうまく組み合わせ、危機を賢く恐れること
11. 危機についての認知と感情では、人間の情報処理過程には自動的過程(システム1)と統制的過程(システム2)があること(二重過程モデル)を紹介した
大雑把に言えば、前者が感情、後者が理性に相当し、感情は理性に先行して沸き起こる
理性をどのように働かせるのかが、危機と付き合う上での鍵になる
14. 危機についての教育で解説された防災教育はその手がかりになるだろう
3. 安心社会と信頼社会
3-1. 一般他者に対する信頼
危機とうまく付き合っていく上で、もう1つキーワードになりそうなのが「信頼」
人間は社会的動物であり、たった一人では危機に対して無力である反面、社会関係資本や社会的サポートのような他者との結びつきを得ることで、大きな危機を乗り越えるだけの力を手に入れることができる
日本社会はこれまで、お互いの信頼のもとに安心・安全が保証された「信頼社会」だと考えられてきた
しかし山岸, 1999は、日本社会はむしろ「安心社会」と呼ぶべきであり、安心社会が崩壊し始めている現在、真の意味での「信頼社会」へと脱却をはかるべきだと主張する
「安心(assurance)」はあくまでも既存の人間関係における、持ちつ持たれつの関係性の中で成立するもの
すなわち、「安心」を基盤とする社会では、仮に相手が自分に悪意を向ければ、そのツケは結局、その相手自身が払わされることになる
したがって、安心者家における信頼とは、相手尾は損をしてまで、自分に対して悪行を働かせるはずはないという評価にもとづくものであり、これは本当の意味で他者を信頼していることにはならない
「信頼」とは、相手の人格や、相手が自分に対して向ける感情の評価に基づくものであり、既存の人間関係を前提としない他者一般に対するもの
相手を見誤ると裏切られ、搾取されるリスクを伴う
その一方で、相手を信頼するというリスクテイキングをすることは、新たな利益を生み出す可能性が秘められている
リスクを恐れて閉じた社会に留まるよりも、信頼できる他者を見極めるための社会的知性を醸成し、外に出ていくほうがより生産的ではないだろうか
安心社会が崩壊しつつある今こそが、日本を信頼社会へと作り変える好機だと山岸は主張する
4. 犯罪に遭遇する危機でみたように、「信頼」は社会関係資本の重要な要素としても取り上げられている
その文脈で考えるなら、安心社会は結合型の社会関係資本が豊かな社会、信頼社会は橋渡し型の社会関係資本が豊かな社会と読み替えることができる
そして、仮に信頼社会を世界規模で築くことができれば、戦争もなくなっていくのかもしれない
3-2. 専門家への信頼
様々な分野の専門家に対する信頼も、危機への対処に重要な役割を担う
自分の知識やスキルが及ばない分野においては、自分の人生や生命を、それらの専門家に委ねざるを得ないから
専門家に対する信頼を構成する要素
能力への期待
最も重要と思われる
しかし、能力への期待は必要条件に過ぎず、能力だけで、専門家と一般市民の間にある認識の溝が埋まらないことは11. 危機についての認知と感情で指摘した通り
人格や意図に対する期待
専門家に対する信頼においても、一般他者への信頼の場合と同じように重要な役割を果たす
主要価値類似性(Salient Value Similarity, SVSモデル: Earle & Cvetkovich, 1995)
加えて、中谷内, 2008, 中谷内, 2015は、専門家への信頼には、信頼する側が信頼される側(専門家)と何らかの価値を共有しているという感覚を持つことが重要だとしている
専門家が自分と同じ立場でその問題について考え、自分と同じことを大切だと思っているという感覚が、専門家への信頼を大きく左右する